敵が増えるブログ

夏木バジル著

腹リュック

電車の中でリュックを背中ではなくお腹のほうにかけて立っている人がいます。

「腹リュック」と呼ばれているらしい。

こういう人が最近じつに多い。割合としてはそこまで多くないのかもしれませんが、少し気になる。というか非常に気になる。気になって仕方がない。

 

座席シートの前で吊り革につかまって立っていると、なにやら背中に気持ち悪い感触が。どうやら

後ろから何者かが密着してきている。

車両の状況を見ると、さほど混雑しているわけではありません。それなのに通路スペースに入り込んで道を塞いでいるのは、いったい誰だ。

 

よく満員電車で、ドア前エリアが押しくら饅頭のようになってしまい、その押しくら饅頭から逃れようと座席エリアの真ん中通路スペースを通って奥のほうへ避難してくる人がいます。この場合は混雑を緩和する意味で仕方のない行動といえます。

 

しかし、それほど混雑していない状態でそれをやられると、奥にいる人が降車するときの邪魔になってしまい、あまり具合がよろしくない。なにより特別混んでいるわけでもないのに密着されるのは気持ち悪いでしょう。

 

いったい誰だ(筋骨隆々のホモじゃなければいいが)、と思って振り向いてみると、別に通路スペースに人が入り込んでいるわけではなく、向こう側の吊り革につかまっている腹リュックの男がひとりで広大なスペースを占拠しているだけだったりします。

 

たとえば、座っている人のマナーが悪く、脚を組んで座っていたり、脚を延ばしていたりすると、その前に立っている人が後ろに下がらざるを得なくなることがあります。

若い女性だと、目の前に座っている人と距離を取りたいがために後ろのほうに下がって立ち、通路を塞いでしまうようなケースもあります。ただ、どちらの場合も

 

反対側に立っている人の背中に密着するほど下がってくることはありません。

 

密着するほど下がってくるのは腹リュックだけです。これは断言します。

 

電車内での背中リュック(という言い方があるかどうか知りませんが、腹リュックと区別するためにこう呼ぶことにします)は、かなり以前からマナー違反として批判されてきました。車両内に注意書きがあったり、時にはアナウンスで注意を呼びかけていることもあります。

 

そのおかげか、背中リュックは徐々に減っているように思います。代わりに腹リュックが増えているわけですが、これはなぜかというと、どうやら背中リュック批判のときに腹リュックが推奨されていたからのようです。

 

ネットで調べてみると、背中リュックを批判する記事がたくさんでてきます。

たとえば、こんなかんじです。

 

一般に、電車内ではリュックサック「前に抱える」「網棚の上に置く」というのがマナーとされています。「前に抱えても体積的に変わらないじゃないか」という声もありますが、一般に人間はパーソナルスペースが正面に広く背面に狭いことから、前に抱えたほうが不快さを高めずにスペースを有効活用できるといわれます。また、常に目が届く前方に抱えていれば、リュックが他人の迷惑になっていないかどうかにも気づきやすく、防犯上でもより安全といえるでしょう。

 

それに対する背中リュック側の反論がこちら。

 

「背負ったままのほうが倒れたときに受け身がとれて安全」

 

電車内で倒れて受け身を取っているリュックの人を見たことがある方は手を挙げてください。

 

重たくて背負っているので、下ろして手に持つのも無理だし、網棚に上げるのはむしろ危険

 

そんなに重いんでしょうか? 倒れたとき受け身どころじゃない気が・・・。

いや、それ以前に、そこまで重いなら背負っちゃいけません。背負うことじたい危険です。ただ、皆さんわりと平気な顔で背負っているように見えるのはなぜでしょうか。

 

リュックを使うなということか」

「そもそもリュック自体が悪いのではなく、満員電車が悪いのだから、そちらを改善すべきだ」

 

取り付く島もありません。

これほど非協力的な人たちに果たして公共交通機関を利用する資格があるのだろうかと思えてきます。

一方、女性からはリュックを背負うのは痴漢対策だという声も上がっているようです。

 

リュックを背負っているとお尻をカバーできる」
「両手が空いているから何かされても振り払える」

 

見事に自分の都合だけですね。

リュックを網棚においても下においても両手は空きますから、空いた手でお尻をカバーすれば周りに迷惑をかけずに痴漢対策できますが、なぜそうしないのでしょうか。

 

いずれにしろ背中リュックが批判されたとき、背中リュック側からはこのような激しいレジスタンスがあったわけです。彼らは決して背中リュック批判を唯々諾々と受け入れたわけではないのです。

嫌々、しぶしぶ、不承不承、やむを得ず、不本意ながら、涙を呑んで、若干ふてくされ美味に、心の中で毒づきながら、リベンジを固く誓いながら、背中リュックを諦めたのです。

 

 

さて現在、かつての背中リュックたちは、腹リュックに姿を変え、市井に紛れて生き延びています(言い方)。

 

電車内での他の乗客の迷惑は解消されたのでしょうか。とてもそうは言えません。

最初に述べたとおり、当初の背中リュック批判の思惑は見事に裏切られ、腹リュックはむしろ以前よりスペースを浪費する結果になってしまっています。

 

彼らの立場から解説してみましょう。

 

リュックを腹に抱えたことによって彼らは自分の足元が見づらくなりました。それによって自分の前に、より広いスペースを必要とするようになったのです。結果として彼らは、あたかも座席のおっさんと距離を取りたがる女性のように、いやそれよりもはるかに後ろに下がって立つようになってしまったのです。そう、

 

反対側の人の背中に密着するくらいに。

 

彼らの言い分はこうです(想像)。

 

「こうでもしないと、座っている人の足を踏んでいないか確認できない」

もしリュックが落ちてしまったら、座ってる人の足にぶつかり大変危険」

 

少しくらい足元が見づらくても、ちょっと首を動かせば十分確認できるはずだし、リュックが落ちるのを心配するなら、最初から網棚に乗せておけという話なんですけどね。

 

 

 

――なぜこうなってしまったのか(窓際に行き、遠くを見る)。

 

これはきっと背中リュックを咎められたことへの意趣返しなのでしょう。

 

背中リュック「ああそう、前ならいいの? 前に抱えればいいんだね? わかったよ、じゃあ前にしてやるよ。その代わり絶対文句言うなよ! 絶対だからな!(もっと迷惑かけてやる)」

 

秋空の下、いろんな乗客を乗せ、今日も電車は走ります。